年末年始はあまりテレビを見ない、
と言ってしまえばウソになってしまうけど、
じっくりとは見ない。
人気のも見ない、紅白もガキ使も見てない。
大晦日の夜は出てるのもある。
一昨年はたまたまバーでやってた紅白はちょっとだけ見た。
正月は元旦からテレビは点けてるとゆう状態、
最近は一つの番組がやたら長いのもあり
チラチラと散文的に見る。
たぶんそうゆう人が増えたんじゃないかって思う。
集中して見れなくなってきてる。
ドラマが減ってるのはそうゆう理由があるのかもしれない。
お笑いとドラマとスポーツ、
どれも興味薄ければ正月にテレビは見なくなるだろう。
今の若い子はネットゆう逃げ道がある、
それが幸福とも言いがたい。
逃げ道があることは時として不幸、
大袈裟な言い方をしちゃえば私は人生でそいつを学んだ。
逃げないんじゃなく、
逃げちゃう時も必要だが
逃げない時を見極めなきゃダメだ。
そんなことは今どうでも良かった。
話が逸れてしまった。
ネットなんかは非常に散文的だ。
どれだけ短く伝えられるかがネットには求められてる
と誰かが言ってた。
的確に伝えられてないのが現状で、
そこが浅はかだと言われる所以でもあるし
ネット依存者への評価が上がらない理由だったりもする。
新聞>テレビ>ネット、
信頼性はそうなってる。
実際に文章を書いたりするには
新聞を読み込めないとむずかしい。
小説や物語は事実でなくてもかまわない分、
騙せるだけの描写力がいる。
見たままを描くのがむずかしいよに、力が必要だ。
その力がたぶんまだない。
散文的にでも力があれば、と思う。
また違う手段として信頼されるだろう。
ただそれには淘汰もあるはずだ。
センスなき者や力なき者には
表現する場としてのネットはあり続けても、
彼らに誰も見向きしなくなる。
大道芸のようなもんでね、
魅せるもんがなきゃ
道で歌っても演じても誰も立ち止まらない。
下手なら相手にされない。
それこそ暴走族のよに迷惑なだけ、
そんな感じにもなるだろう。
まぁ一部のツイッターやユーチューバーなんかは
もうすでに嫌悪の対象になってたりもするしね。
逆に言うならば、
散文化してしまうのは魅力がただ単に少ない。
魅入らせられない、
と考えるとまだまだなんかもしれない。
まだまだなだけ、って気もせんでもない。