あのころはなんて平気で言えるほど

大雨の警報のニュースに混じって死刑執行が行われたと、
たまたま乗り合わせたタクシーの運転手は
「平成がもう来年で終わるからね」と私見を述べていた。
なるほど、たしかにそれはあるだろう。
次まで持ち越したくない、それはわかる。
 
大雨洪水で
全国的にわちゃわちゃ言うてるときにってのは偶然なんだろか? 
それが気になった。
意図的じゃないにしたら神の仕業、
と言ってしまうとオカルトだ。
事件のときは日本にいなかったんであのときの空気感は知らない、
ただ数ヶ月後に戻ったとき
「虚ろ」のよなもんがこの国を覆っていて、
それはたぶん消え去りはしなかった。
学生運動の前と後、
似てるかもしれない。
 
あの頃は世紀末感があって、
それは今の空気と全く違う。
ある種の高揚感と喪失、
まだら模様のよに我々を人々を包んでいた。
 
突き抜けた先が今、
と言ってもいいし
底が抜けたのが今だとも。
どちらにせよ、
あのときの枠には良い意味でも悪い意味でも違ってる。
無責任の無責任さが全く違う。
無関心の無関心さが違う。
 
人は話してる事なんかより
話し方や表情を見てる、と彼は言う。
でも昔はそれが汲み取れたんだが
今は違っていて、
「空気読めない」なんてのはそうゆうことだ。
良くも悪くも、
影響し合わず干渉せずに
それが個性だとかになってる。
実際は個性なんて呼べるもんでもなんでもなく、
ただ協調性がないだけの子、
困った困ったと親がこぼす。
 
今はね、
挨拶が出来なくても親は恥ずかしくなくてね、
頭を下げたり出来ないまま大学生とかになっちゃう。
トークライブに来てたのは
エリートな意識高い子なんだろうが、
高いがゆえに彼らは犯罪を犯した。
その「理由」がきっとわかるんだろう。

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by wanio1507 | 2018-07-24 20:30 | 過ぎ去った日のこと | Comments(0)